7. 伊能忠敬は磁場を使って日本地図をつくった?

伊能忠敬(いのうただたか)は、50歳をすぎて家業から引退して幕府の天文方(暦を作成する役所の役人)高橋至時の弟子になり、その後わが国最初の実測日本地図「伊能図」をつくりあげた人物です。伊能図は、忠敬が実際に日本全国のほとんどを歩いて精密に測量したデータを元に作成されたものです。忠敬が各地の測量を始めたのが西暦1800年ころ、地図が完成して幕府に上程されたのは1821年のことでした。忠敬自身は地図の完成を見ることなく、1818年に73歳で亡くなりました。

伊能忠敬

測量には、当時主としてオランダから輸入した測量器具を用いました。その中には、遠方の山や島の方位を測定するために用いられた方位磁針(磁気コンパス)も含まれます。忠敬が人生の大半を過ごした千葉県佐原市には「伊能忠敬記念館」があり、そこでは、この方位磁針を含め忠敬が使った測量器具を見ることができます。

伊能忠敬「大日本沿地全図」による富士山付近