研究の目的

太陽中性子の観測の目的は、太陽表面における高エネルギー粒子の加速機構を知ること です。しかしながら、この研究の真の目的は、単に太陽表面における粒子加速の謎を 解こうというだけではなく、宇宙空間で起こっている粒子の加速機構に迫り、 宇宙から降り注ぐ宇宙線の起源をつきとめることです。

宇宙線のエネルギー分布 (左: Simon Swordy が Augerというプロジェクトのためにまとめた)を見ると、

1) 宇宙線のエネルギーの高エネルギー側はどこまでも続いていて上限がないように 見える
2) 宇宙線の頻度はエネルギーが増すにつれて、ほぼ同じ割合で減少している

ことがわかります。現在観測されている宇宙線の最高エネルギーは地上の加速器で生成で きる粒子のエネルギーをはるかに凌いでいます。

宇宙から宇宙線というものがやってきている実験的証拠を初めて明らかにしたのは オーストリアの Hess で、それは1912年のことでした。それから100年近くたって いますが、宇宙線の起源がどこにあって、どのような機構で高エネルギーまで 加速されているのか、その全体像はいまだにわかっていません。その大きな原因は、 宇宙線のほとんどが、正の電気を持った原子核(主として陽子)だからです。 宇宙空間の至る場所には磁場がありますが、電気を持った粒子は磁場中で その運動方向を曲げられてしまいます。従って、地球で観測されるときには、 その宇宙線がどこで、またいつ生成されたのかという情報は失われ てしまっています。


Hess は気球に乗り5000m以上の高度まで酸素ボンベなしで行き、上に 行くほど放射線強度が強いことを確かめました。
(illustration: http://www.ast.leads.ac.uk/haverah/cosrays.shtml)

荷電粒子(電気を持った粒子のこと)が磁場中で曲げられてしまう、という困難を 克服する方法として、荷電粒子そのものを観測するのではなくて、荷電粒子が他の 物質と相互作用してできる中性粒子を観測する、という方法があります。宇宙線が 加速された場所で生成された中性粒子を観測すれば、中性粒子は磁場で曲げられない ので、どこで生成されたのか、その起源がわかります。現在最も精力的に行われている 観測の一つに、ガンマ線源の探索があります。ガンマ線を探索することにより、 宇宙線起源を探るものです。1990年以降のガンマ線探索により、 超新星残骸活動 銀河の中心核で宇宙線が生成されていることが実験的に確認されています。 ただ一つ問題なのは、ガンマ線はもともとの宇宙線が負の電気を持った電子で あっても生成されるので、主要なガンマ線源が、主として陽子からなる宇宙線 起源を本当に説明しているのか、という点については確定的なことは言えないのです。


Fermi 衛星に搭載された LAT (Large Area Telescope) 検出器が検出した
1873のガンマ線放射天体。ガンマ線のエネルギーは1億電子 ボルト以上(電子ボルトについては
「太陽中性子観測」の章で説明します)。 Astrophysicsl Journal Supplement 2012年4月号 より。


話を太陽に戻します。太陽は、宇宙線の起源としてわかっている天体の中では、 最も地球に近い天体です。太陽からの宇宙線のエネルギーは、宇宙線の中でも エネルギーが一番低い側に属しますが、その一方で、太陽は加速が起こったことを 我々が目のあたりにとらえることができる唯一の天体です。太陽からの光は、 約500秒で地球に到達しますから、観測したことがほとんど リアルタイムで起ったと思えばよいのですが、たとえば 200パーセック離れた天体からガンマ線が観測された場合には、「えーと、 1パーセックは 3.26光年だから何年前のことだっけ???」と考えてしまった とたんに訳がわからなくなってきます。さらに、X線衛星 コロナグラフ・電波ヘリオグラフ等が 太陽を常に監視していますから、太陽宇宙線が突然増加したときには(Ground Leve Enhancement: GLE と呼ばれています。下図)、太陽のどこに その原因があったのかを調べる足がかりは豊富にあります。太陽表面でフレアと 呼ばれる爆発的な現象が起こった時間を我々は知っているのです。加速現場の研究対象 としては、太陽は最高の条件にあるのですが、それにも関わらず、太陽表面での 宇宙線加速に対する理解が十分になされているか、と言うと結論はノーです。 太陽磁場の影響で電荷を持った宇宙線がまっすぐに飛んで来れないのがその原因です。


2005年1月20日に起った大きなフレアで太陽宇宙線が増加し、その影響が地上で 宇宙線強度を
モニターしている各地の中性子モニターで検出された様子。 http://neutronm.bartol.udel.edu/.

太陽の場合にも、粒子加速の研究を行う場合には 中性粒子の観測が有効に働きます。 その例として、X線やガンマ線があるのですが、やはり電子が加速された場合にも X線やガンマ線は生成されます。そこで、中性子の登場、となるわけです。 中性子が観測されるためには、加速された粒子は陽子等の原子核でなくては なりません。従って、中性子の観測から太陽表面で中性子が生成された時間・ 生成された中性子のエネルギー総量やエネルギー分布を知ることにより、太陽表面での 正の電荷の粒子加速の様子を知ることができます。中性子の平均寿命は900秒ですが、 太陽と地球の距離は上にも書いたように、光速で測って500秒ですので、エネルギーの 高い高速の中性子は、宇宙線として地球に到達することができるのです。もっと 遠くの天体で生成された中性子の場合には、地球に到達することができないので 太陽は中性子を用いて粒子加速の研究ができる唯一の天体です。
(注: 特殊相対性理論によれば、中性子の速度が光速に限りなく近づくにつれ、 その寿命も延びるので、もっと遠くの天体からも実はやってこれることに なりますが、話が複雑になるので、ここではその話はやめます)

以上のことから、太陽中性子観測の目的をまとめると、 中性子の観測により、太陽表面における粒子加速メカニズムを解き明かし、 その理解を応用して宇宙空間全体で起こる粒子加速の研究、ひいては 宇宙線の起源の謎に迫ろうとすることです。