プエルトリコへの旅〜20099

野澤悟徳

(1)SOCとは?

太陽研と極地研究所が日本の代表機関として加盟している、EISCAT科学協会には、評議会、科学諮問委員会(Science Oversight Committee : SOC)、財務委員会が設置されている。各委員会の構成メンバーは、各加盟国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、英、独、中国、日本)から選ばれる。私は、日本のSOC委員である。このSOCの目的は、科学的な助言を、最終意思決定機関である評議会に提言することである。各国の代表に加えて、我々の分野に精通している加盟国以外の研究者2名を外部委員として、加えている。科学諮問委員会は、年2回開催され、基本的に加盟国の持ち回りで開催している。これまで、ロンドン(英国)、上海(中国)、ウプサラ(スウェーデン)、クフルスボーン(独)にて開催されてきた。


(2)プエルトリコ

5回科学諮問(SOC)委員会(科学諮問委員会は、2007年の新協定からリニューアルされた。以前は、SACと呼ばれた)が、2009914-15日の2日間、プエルトリコのアレシボ観測所(http://www.naic.edu/)で開催された。今回は特別に、外部委員であった、シクストー・ゴンザレス博士の招きで、加盟国以外にて開催された。

プエルトリコ、どこだ?というのが私の最初の印象。私は、主にトロムソをホームグランドにし、(最近ご無沙汰しているが)アメリカではコロラド州ボルダーをメインにしている。ボルダーにはこれまで何度も行ったが、コロラド州より東に行ったことはない。プエルトリコは、アメリカの自治州であるが、位置がいまいちわからない。フロリダ半島の先端付近かと思っていたが、さらに東で、カリブ海に面した、キューバの向こうにある島だった。それも赤道域の島である!


カリブ海にある島?

(3)アレシボ観測所へ

913日午前10時ごろに家を出て、午後2時ごろに成田空港到着。午後4時成田発の飛行機で、ワシントンDCダレス空港に向かう。飛行時間はおよそ12時間。到着したのは、現地時間(時差マイナス13時間)の午後4時ごろ。長いフライトであった。機内でおもしろい食べ物がおやつとしてでた。カップヌードル、ただしきつねラーメン! きつねうどんのスープと具に、ラーメンが入っていた。小さいあげの具もある。味はまあまあ。でも日本人の発想ではないね。日本で売れるかどうかは、微妙だな。






UA機内で出たきつねらーめん



ダレス空港で午後
6時発の飛行機に乗り、プエルトリコの州都サンファン(Sun fuan)に午後930分ごろ到着。もうこのごろになると、意識が遠のき、半分仮眠状態。。。そこで、スウェーデン代表のステファン・ブハート博士と落ち合った。そして、タクシーに乗り、アレシボ観測所に向かう。1時間半ぐらいかかるらしい。もう限界、眠りに落ちる。。。午後11時過ぎに、アレシボ観測所に到着。ここは、ゲートがあり、守衛さん2−3名が常駐していて、訪問者を監視している。さすがアメリカ!


アレシボ観測所のメインゲート


(4)部屋がない!
守衛所で、滞在の手続きをした。ラテン系のふとっちょ守衛さんの挙動が怪しい。宿舎の部屋の鍵が見つからないらしい。何度も探している。部屋割りを見ながら対応する部屋番号の鍵を探すが見つからない。。。。私の部屋は
No. 510分以上探したが、見つからない。。I have a bad feeling about this…  なんか適当な鍵を持って、あきらめて宿舎に向かう。ステファンの部屋にトライしたが、開かない。。クビをかしげる守衛のおじさん。別の部屋の鍵でドアを開ける。中には人が!!おいおい。そして、No. 5の部屋、私の部屋(らしい)のを空ける。人はいないけど、掃除されてないっす。。。どういうこと? 守衛のおじさん、困ってしまった。。。 さらに別の部屋を空ける。空室!そこにステファンをあてがう。(すごくいい加減。。。) 私の部屋は未定。鍵を取ってくるから待てと、ゲートの守衛所に戻って行った。。この観測所、熱帯雨林に囲まれて、野鳥の鳴き声がなり響いている。へびが出そう。。すごいところに来てしまった。。。



           熱帯雨林

すでに時間は午後
1130分を回った。家を出てから25時間半を経過。。。 おじさんが5分ぐらいで戻ってきた。別の部屋を空けた。空室! その部屋をあてがってくれた。良いのかな???ようやく休めると思い、疲れがどっと出た。でも、でも、、あのーー部屋の中を虫がブンブン飛んでますけど。。。あのーー少し臭いが。。。じめじめしているし。エアコンはきかんし。トイレ、シャワーは汚い(すいません)。えーここに3泊。。。。。 しばし呆然。。。。としたが、これも人生よ。アレシボ観測所の宿舎はホテルなみと聞いていたけど。。。気を取り直して、寝間着に着替えて、パソコンを取り出し、メイルをcheck。しばらくしたら、ドアをノックする音が。守衛のおじさんが戻ってきた。  ここは違う??? おいおい、またパッキングかよ。

車で3分ほどの別の宿舎に案内してくれた。 No.5 の部屋。Yes, there is! 案内された宿舎(もともとアサインされていたもの)は、先ほどの宿舎よりレベルが数段上だ。やれやれ良かった。。。すでに時計は、午前030分を回っていた。。ところで、明日朝集合するカフェテリアはどこだ?会議はどこで?情報がないじゃん。。




今回滞在した宿舎。

(5)初日 日没レース
翌朝、ほとんど眠れずに、午前7時に起きた。集合場所が分からないので、誰かを捕まえないといけない。耳をすませる。8時ごろ、階段を降りる音! 降りてきたのは、独のレットガー先生。ご挨拶して、カフェテリアに行くと聞き出し、ご一緒させてもらうことに成功。さらに話しを聞くと、朝食の後、そのまま会議の会場に向かうとのこと。。慌てて支度をして、出発。カフェテリアに着くと、他の
SOC委員が集合していた。ステファンも居た。彼曰く「早起きしてジョギングしていたら、仲間に会った。君のことを心配していた」。だったら一声かけてくださいよ。9時から会議開始。英語で活発な議論が続く。昨日まで日本語で生活していたのに、いきなり英語の会議はツライ。全神経を集中して、会議をフォローする。昼休憩を挟んで会議は、予定を15分ぐらい延長して、午後545分ぐらいに終了。午後スコールがあった。夏と冬の違いを尋ねたら、毎日スコールがあるのが夏で、ほとんど毎日あるのが冬だそうです。




会議中。


これから、浜辺のレストランにてみんなで夕食。
3台の車に便乗して出発。先頭はホストのシクストが運転。


先頭車


私が乗った車が続く。同乗者は、今回初参加の外部委員のロシアのナタリー、その娘ナターシャ(だったと思うけど名前不明:米国ポートランドの大学で、生物学を研究しているとか)、
EISCAT所長イーサ ツルーネン。ナターシャが運転。なんでも海に沈むサンセットが素晴らしいので、急ぐとか。飛ばす、飛ばす、細くくねくね道をハイスピードで。夕方だから交通量が多い。すれ違うたびにひやひや。日没カーレース! ナターシャはなんとかついていく。まるでカーチェイスだ。だが、どんどん日が沈む。飛ばす、飛ばす。信号待ちになったときに、路肩に乗り上げて、先頭車が行ってしまった。さすがに、ナターシャが切れた。I cannot go!  もちろん、みなで賛成。 くねくね道を飛ばして、急ブレーキの連続だから、気持ち悪いんだけど。。。これからディナーか? 結局1時間のドライブの後、島の北西に海外沿いのレストランに到着。日没には間にあわなかった。なかなか良い雰囲気なところだ。



レストランから海を眺める


海岸に面したバルコニーに陣取り、まずは、一杯。普段なら喜んで飲むところだが、疲れとあの運転で、気持ち悪い。。つきあいでカクテルを一杯。談笑開始。この人たち会話はつきない。。
30分ぐらいして、ようやくディナーのメインディッシュを注文した。私は、ツナステーキ。このころに少しは気分は回復したが、眠い。。。海風が気持ちいいし、海がなかなかすばらしい。だんだんと眠気が。。午後8時すぎても料理が来ないし、意識を失う。。波を見ているうちに寝てしまった。料理が来て起こされた。すでに、午後840分を過ぎている。。。ディナーを終え、宿舎に戻ったのは、午後11時過ぎかな。寝床に入るが、眠気はいまいち。外で、まだ談笑しているようだ。。。午前1時、2時、まだ声が聞こえる。。。


(6)2日目

少し眠ったら目がさめた。時計は、午前530分ぐらい。外で「大きな」話し声が聞こえる。。。。なんなんだろう。。。7時ぐらいに起き上がって、メイルを見ると、午前3時過ぎのメイルに「午前6時ぐらいから、レーダーの保守作業を行う。興味がある人は参加して!」というメイルが入っていた。うーーーん、タフな人たちだ。

午前830分に集合して、アレシボ観測所を見学。


     ここに上る。歩道がある。              ケーブルカーでもあがれる。


   レーダーのクライストロン                   歩道にて、降りる。



                  300mアンテナはでかい!


300m
のアンテナの上!ケーブルカーで上る。なかなか良い眺めだ。村が1つすっぽり入ったというスケール。すごい。サブディッシュも大きい。さすがアメリカ。

アレシボ観測場では、ライダーやFPIによる光学観測も行っている。こちらも見学させてもらった。なかなか年期の入ったシステムを使っていた。一度作ると、なかなか更新は難しいらしい。特に、継続してデータを取得したいので、壊れない限りは、システム更新を行わないか。カリウムライダーの望遠鏡には驚いた。屋根の上に、可動式倉庫の中で保管している。まるで野砲だ。観測するときには、屋根をどけ、望遠鏡をセットする。なかなかな手間だね。



ライダー用の望遠鏡


会議は、午後5時ぐらいに終わった。希望者5名ぐらいが、野外観測所の見学と、ついでに洞窟で、コウモリとボア(へび)を見に行った。私は他のメンバーと別の会議。これが午後6時過ぎに終わる。そのあと、観測所主催のバーベーキユーパーティ。

(7)サンファン空港のホテルへの移動

プエルトリコでは、朝の渋滞がすごいらしい。公共交通機関がないので、みな自家用車で仕事に行くとか。多くがサンファンに向かう。そのため、午前のフライトの場合は、サンファン空港のホテルに泊まるのが安全。予定を変更して、私ほか、ナタリーとC先生が、空港ホテルに移動することになった。約束した集合時間は、午後830分、宿舎前。バーベーキューパーティを早めに切り上げて、宿舎に午後7時過ぎに戻ると、野外観測所の見学に行った人たち(C先生も)が宿舎に戻ってきていた。彼らはこれからバーベーキューパーティだろう。最後の話しが出来なくて少し残念だ。少し仕事して、約束の時間の5分前に外で待つ。ナタリーとその娘のナターシャも外に出ている。午後830分になった。空港まで送ってくれる車が来ない。。。5分経過。車は来ないし、C先生もいない。嫌な予感が。C先生は、洞窟ツアーに行って、遅れてバーベキューパーティに参加したから、おそらく。。。ロシア親娘は、C先生のことを心配している。部屋の電気がどこもついていない。寝ているから起こさないと!とか。私は、20年近くC先生とつきあっているし、SOCメンバーの気性も理解している。おそらく、勝手にC先生は、自分で予定を変更したのだろうな。。。彼らにとってめったに会えない人たちとの議論は非常に重要だ。「いいよー30分ぐらいなら問題ない!」なんて会話が目に浮かんでくる。以前、そういう場面を目撃したこともあるし。約束の集合時間から15分経過。ロシア親娘は真剣に前後策を議論している。ナターシャの車で空港まで行くか?その場合は、checkoutはどうする??等、議論している。  が、私の予感では、C先生が自己都合で、予定を変更しているに違いない。。 午後9時前にようや車がやってきた。そこには、やはりC先生が同乗している。C先生は、Sorryの一言のみで、部屋に荷物をとりにいった。15分ぐらいして、ようやく出てきた(パッキングもしてねーのか?!)。予定より1時間遅い。。。出発。。。空港ホテルに落ち着いたのは、午後11時過ぎ。やれやれ。なおこのホテルにはカジノもある。でも元気なしで、眠りにつく。。キングサイズベッドは気持ちが良い。



(8)ワシントンDC

翌朝サンファンからワシントンDCダレス空港に向かう。コネクションフライトがないため、ワシントンDCダレス空港そばのホテルで一泊する。ダレス空港はでかい。大きなシャトルバスが、ターミナル間の人を輸送している。シャトルの入り口が普通の通路と見間違う。間違って別のシャトルに乗ってしまいそう。Baggage Claimの案内板に従って、移動。シャトルを降りたら、出口が見えてきた。No returnと書いてある。いいのかな?? もう後戻りはできない。出口をでた。左右に荷物受け取りのコンベアーがあった。飛行機を降りてから、バゲージクレームまでたどり着くのは長い行程であった。スクリーンで、荷物出口を探す。他のフライトには、番号がでている。まだ到着していない便でも、番号が出ている。が、なぜか、我々の飛行機には出てない??10分ぐらいして、似たような人が職員に聞いていた。引き取り所に行けと言われたので、ついて行くと。引き取り所の職員が、調べてくれて、番号を教えてくれた。ようやくかばんをゲットした。



(9)ゲディット
or デビット?

ホテルについたのは、午後4時すぎ。昼抜きだからおなかがすいた。この種のホテルには、レストランがない。シャトルバスに乗りながら、回りをチェック。お、フードコートとガソリンスタンド(キオスクがある)を発見。歩いて行ける距離だ。少し部屋で仕事してから、食事に向かう。10分くらいの距離にフードコート。中には、ピザと中華があった。中華をゲット。帰りにガソリンスタンドのキオスクにて買い物。支払いのときに、クレジットカードを出したら、店員曰く、「ゲディット or デビット?」 ??ゲデットってなんや?デビットって最近日本でも使われだした電子マネーのことか?しばし呆然としていると、数回同じ質問が。勇気をだして、「クレディット」というと、オーケーとの返事。そうか! ゲディットは、クレディットだ!! よく英語の本に、こういう発音の違いが書いてある。少し感動。

(10)旅の終わり。

12時過ぎにダレス空港を定刻で離陸。ラッキーなことに、隣席が空席で2席を使えて、快適であった。定刻で成田空港に帰還。この日はシルバーウイーク前の金曜日。新幹線は大混雑。東京駅では、空席だったが、品川で満員になり、横浜で超満員。。ここまで混むのは珍しい。

日曜日の朝10時前に家を出て、金曜日の午後9時前に帰宅。なんかこの1週間は、旅ばっかりしていたな。。。さて、会議の報告書を作成せねば。

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